皆さんこんにちは。灼熱の猛暑の中、いかがお過ごしでしょうか。
私は、照り付ける日差しの中、外に出ることすら億劫で平日休日問わず怠惰な夏を過ごしております。
又しても百日紅の暑さ哉 子規
百日紅は(サルスベリ)と読みます。 「猿も木から落ちる」を体現しているのではないかというくらい、木の表面がツルツルしています。
炎天下を象徴するかの如く、子規の俳句がこの博多の様相と重なります・・・。
しかしながら、ぼーーっと過ごしていると、身も心もひ弱になる気がして、昼下がりから夕方にかけて
思い立って奥山を訪ねてみました。
幸い、私は都市熱を帯びた市内からだいぶ離れたところに住んでいるので、山河に囲まれている秘境?に近く、分け入っても青い森が生い茂っています。
そんな中、滝のせせらぎや木々のさざめきに誘われて、篠栗は千鶴寺を尋ねました。
飯塚との境に近い八木山峠に位置しており、奥山深い世俗から離れた気分になります。
境内には、沢山の風鈴が吊るされており、山風と共に、涼しい心地を思い起こしてくれます。
風の音と聞くと、現代の私たちは都市化された場所に安住しがちなためか、エアコンの稼働音や扇風機の音など機械音ばかりに気を取られてしまいがちです。
しかし、悠久の自然の音・・・とりわけ木々が揺れ動いている音や心地に浸っていると、何ともいえない感覚に陥ります。
加えて、人と自然の「間」に位置する一種の「揺らぎ」を風鈴が奏でてくれているようで、自然に対する雄大さや畏敬の念を胸の奥底から、湧き出てくるような感歎に浸ってしまいます。
そのまま、寺院の奥に向かえば渓流の澄むうららかな眺めを渡りこえ、滝の清水に心洗われていくようでした。
今も昔も絶えず滝の轟音が余計な雑音をかき消してしまうのだろうと感慨に浸りながら、普段はうるさくて仕方ない蝉の声が滝と調和していき、しみじみと夏の涼しさを感じ取れました。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 芭蕉
奥の細道の旅の途中芭蕉は山形県の石立寺でこの句を詠んでいます。
場所や時代が変わっても、私たちは自然の中から涼しさを感じることができるのですね。
この日はしばし、静寂の安寧を謳歌して日々の喧騒に戻っていくのでした。